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19 Dec. 2010 : 初期衝動(Twitterより転記)
 
以前Twitterで1晩中酒を飲みながら僕の過去の事を語ってました。そのままTwtterの中で時間ともに流れていくのは嫌だったのでここに転記します。。



中2だったかなー、当時は広島で地元の先輩と4人でスケートしてたんだけど誰からともなくビデオ撮ってみるかってなったんだ。。

それで先輩の一人が家からビデオカメラを持ってきたのね。そこで俺は何を考えたのか分からないけど、実家にあった130万画素のfinepixを持っていったのさ。
たぶんその時は、動画があの人なら俺は写真を残そう。って思ったんだろう。これが写真を撮ろうって思った初期衝動。。
それから少しずつスケート雑誌の見かたも変わっていったんだ。。

そのビデオは広島の尾道、向島っていう限られたすごく狭い範囲と少ない人数で撮ってそのメインの4人の完全自己満足だった。僕の写真もその4人で見て楽しむだけだった。

それから1年ほどたってその先輩たちが大学受験とかに入ったから、僕は尾道、向島からもう少しスケーターもスポットも多い福山に滑りに行くようになる。。
福山まで行けばスケートショップも3軒ほどあった。僕はその中の1軒に入り浸り、入荷したビデオや雑誌をずっと観てた。。隣のたばこ屋のおばちゃんと「売って」「売らない」の言い合いをした。
土日に福山へ滑りに行って着替えとデッキをその店のバックヤードに置かせてもらい、平日下校途中に店に寄って制服から私服に試着室で着替えて福山駅裏で滑るってのが決まったルーティーンだった。。その頃は写真のことなんて頭になくて、もっと上手くなってビデオに撮られたいとしか考えてなかった。。
福山まで行けばビデオカメラにフィッシュアイレンズをくっつけてビデオを撮ってる人がいた。そんな人たちが身近にいる事が嬉しかった。そしてその頃、初めて撮ってもらったラインは今でも覚えてる。kick-flip ollie 50-50grindのライン。
その頃の生活は本当にスケートの事しか考えてなかった。10時ごろ帰宅して朝方までスケートビデオを観るかコンポでMDに好きな曲を編集して録音する作業をしてた。学校で寝てた。。
たぶんその頃はオリンパスのCAMEDIAとか言う300万画素で毎秒3コマ撮れるデジカメを使ってた。。

話はそれるけど、何故デジカメかというと単純にシャッターを押すことが簡単だったからだと思う。使い捨てカメラで撮ることもあったけど、旅行であまったフィルムがある時だけだった。。

その後、親の薦めでカナダへ1ヶ月留学する。地元とは全く違うスケーターの人口やスケート雑誌の量に驚くが割とスルッと帰国。。
そこから高校に進学し同じような生活を送る。そして高2の後半、大学受験の為スケートから1度離れる。きっと毎日毎日繰り返される両親とのスケートに関する言い争いに疲れていたんだと思う。。

1度目の大学受験を終え何とか大学に入学。ここから二次衝動へのカウントダウンが始まる。。
大学は千葉県野田市。初めて母親と行ったときに東京からの車窓の変化に驚いた。思わず「母さん、ビニールハウスがあるよ」って言ったのは忘れない。。
入学からの1ヵ月半、うずうずしてた。友達はできるが面白くない。1年間我慢したんだぞ。東京の大学行けって言ったじゃん、キャンパスも調べずに受けたから野田だけど受かったよ。でも楽しくないぞ。初めてのひとり暮らしの夜は無駄に近所をプッシュしてまわったのを覚えてる。。
そんな生活の中、キャンパス内でスケーターを見かける。どうしても話がしたかった。スケートを全く知らない友達に「ちょっと用事ある」とか適当なこと言って、そのスケーターの元に行った。その彼こそMo3。。
やはりスケーター。話せばつながる。そこからどんどん生活は楽しくなった。毎日滑った。野田とはいえ、地元とは格段に違う情報量。興味が湧くものはどんどん増えた。。
そんな情報量に圧倒されながらも、海外への憧れは強まっていく。。スケートビデオで観るアメリカ西海岸の陽射しがとってもまぶしかった。。

その頃はSONYの600万画素のCyber-Shotを使っていた。。

そして西海岸への憧れから西海岸の服、デッキなどを買うようになる。まだまだFTCなんかは代理店も無く、なかなか手に入らなかった。。
そんな生活を1年くらい送った頃、神宮前にFTC TOKYOがオープンする。。2007年の春だったと思う。。
すぐに通うようになる。Teeシャツやらギリギリの所で買ってた。。そうしているとSFの本家に行きたい願望も強くなる。。

そんな中、大学で開催されていた海外短期留学説明会に参加してみる。それは大学生協の一角で開催されていて、仲介業者が5社くらいブースを設置していた。ほとんど担当者はおっさんだった気がする。
その中に1社、綺麗なお姉さんが座っているブースがあった。(ただ俺のタイプだっただけだけど…)しかも空いてる。すぐにそこに座って「サンフランシスコに行きたいんです!!」と言った。。お姉さんは「行き先は決まっているんですね」と苦笑い。。
そして期間なんかを話す。「私もサンフランシスコ大好きで…」なんて好印象。もう俺タダのバカ。。親を説得し何とか1ヶ月の短期留学にこじつける。。2007年の夏だった。。

そして10万円をアメリカドルに換金しSFへ。地図なんかも買って準備は万全。
本当に1ヶ月は一瞬だった。。本家FTCに入り浸り、憧れのプロスケーターを何人も見た。スーツのおっさんがスケボーで通勤してる姿なんて絶対にあそこでしか見れなかったと思う。。10万円なんてすぐになくなった。日本の口座から出せるだけ出した。帰国したときは8ドルしか持ってなかった。。
そのSFでの1ヶ月が2次衝動だった。仲良くなったFTCの店長も写真家だったし。街中で展覧会的なものが行われていた。グループで店を持ちTeeシャツに絵や写真をプリントして売ってるやつらもいた。。みんなやりたい事を本気で楽しんでた。。
都内にいるくだびれたサラリーマンみたいな人は居なかった気がする。みんな自分の仕事に誇りを持って笑顔でやっていた。スーパーの清掃のおばさんも日本とは全然違った。。

そして帰国後、どんどんと強まる写真への気持ち。。それまでも写真は好きだったけど自己満足だったなーとか、もっと綺麗な写真撮りたいなーとか、考えバイト代からEos kiss Digital Xを購入。。
その後、スケート:写真の比率がどんどん写真へと傾いていく。トイカメラから始まり、レンズ買ったり、フィルム一眼買ったり、コンパクトカメラ買ったり・・・そして今に至るって感じ。。



最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます。
これからも初期の思いを忘れずに頑張りますのでどうぞよろしくお願いします。。
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かっけぇーーーーっす
miki | 2010/12/19 21:54
…そして今、柔らかいウィールから硬いウィールへと乗り換える…
…その前にダイエットを始める…
MO3 | 2010/12/20 01:42
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